こんばんは、じょぶでございます。
いつまで続けられるか分かりませんが、昨日から毎日更新を始めました!
今日は記憶が新しいうちに、週末に受講した研修の内容をまとめておこうと思います。
内容はドンビシャ、発達障害についてです。
病院で学生指導の経験がある看護師という視点、そしてADHDグレーゾーンという視点も加えて私見を述べていきたいと思います。
この記事の要約
発達障害があるからといって、学びたい気持ちに水を差してはいけない。
発達障害がある人も得意なことがある。
苦手なこと(特性上できないこと)をフォローするような学習方法、評価方法をとることで、普通の学生と同じく資格取得することも可能である。
こういったフォローを合理的配慮という。
個人的には、合理的配慮が発達障害のある人にとって最善なのかは甚だ疑問。
発達障害、グレーゾーンの人は増えてきている
若者、大人、関係なく、発達障害の人は増えてきています。
原因はいろいろ言われていますが、単純に情報化社会で発達障害に関する知識を持っている人が増えてきたことや、自身の特性を表に出しても平気な人が増えてきたのが原因かなーと個人的には思っています。
ひと昔前だったら「こいつ話通じねえな…」で相手にされなかったのでしょうが、良い世の中になってきたのでしょうか?
大学生への指導だけでなく、患者や同僚とのコミュニケーションの中でもそういった特性を垣間見ることがありますし、私生活でも役に立ちそうだなって思います。
そもそも私もグレーゾーンですし、妻はASDですし。
障害学生支援は対話が大切
支援する側のエゴで支援するのではなく、まずは相手の得意・苦手を理解して、適切に対応することが大切。失敗すると学生を傷つけるし、自分も傷つけられる。
そして、学生自身が自分の特性に気づくことが大切。
支援者が答えを提供するのではなく、一緒により良い方法を見つけていく姿勢が大切。
この辺りはすごく共感したというか、なるほどなーと思いましたね。
ASDの方と話していると、自分本位に感じられる発言が多いんですよね、相手の気持ちを推し量ることが難しいことが原因だと思いますが。
だから良かれと思ってやったことに対して心ない返答が飛んでくることがあります。分かっていてもツラくなったり、むかつくことも少なくありません笑。
こっちは善意でやってやったのに!!…ではなく、自分で解決してもらうというスタンスはとても大事だと思いました。
改正障害者差別解消法について
①不当な差別的扱いの禁止
正当な理由なく学生の学びの機会を拒否、制限することは禁止。
②合理的配慮の提供義務
障害によって勉学に困難が生じている場合は、それを除去したり、代替手段を提供することで健常者と同等の機会を得られるようにしなければならない。
ただし、学修の本質的な部分は変更してはダメ。(例:看護国家試験の受験、全分野の看護実習など)
学修の習得方法や評価方法は特性に合わせて変更してよい。
やや意訳していますが、こんな感じ。
我々看護師は常々「個別性が大事!」って言われて育てられましたが、ここまでやってられないなーと正直思ってしまいました。
合理的配慮には時間と人的コストがかかる、というのは講師の方からもお話がありましたね。
実習における合理的配慮
障害学生の特性を教員、指導者間で情報共有・連携をする必要がある。
また、教員、指導者が発達障害についての理解、合理的配慮の在り方について理解を深めていく必要がある。
合理的配慮はコンプライアンスとして存在する言葉ですが、教育のための創意工夫という意味で教育的配慮という言葉があります。
実習指導というのは教育的配慮の最たるところだと思っていて、学生が実習目標を達成できるように受け持ち患者の選定やスケジューリングを行い、もちろん患者さんへのフォローも必要になってきますし、それに加えて指導しながら日々の業務も行わないといけません。
ちょっと指導者の負担が多すぎません?って感じではあります。
障害学生への関わりのヒント
まずは発達障害についての理解を進める必要がある。
どのようなことに困難さが生じるのか、逆にできていることはなんなのか、明確にしておく。
そして、指導の際はそれを具体的に伝えていくことが必要。
工夫として、視覚的にわかりやすくするとよい(例:フローチャート、写真、文字起こしなど)
障害学生は動的なもの(相手のペースに合わせるもの)より、静的なコミュニケーション(自分のペースで確認できるもの)のほうが認識しやすいことが多い。
これは具体的でいいなーと思いました。結局口でやり取りではなく、資料とか文字でやり取りのほうが記録も残って言った言わないにならなくていいなーと思いました。
最後に、個人的感想と、悩める障害学生へ
合理的配慮という名前とは裏腹に、非常に遠回りで効率の悪い支援をしなければならないというのはなんとも皮肉が聞いているな、というのが正直な感想です。
私も半分当事者であり、妻は完全に当事者である立場から言わせていただくと、そこまでツラい思いをして看護師になってどうするのか…と思ってしまいます。
そして、せっかく国家試験に合格しても、あくまでスタートライン。ここから修羅の道が待っていると思うと、大学の段階で苦労の少ない別の道を目指すというのも悪くない選択肢だと思ってしまいます。
ASDには「自分はこれしかない」と思ってしまうと、それ以外の選択肢が見えなくなってしまう傾向がありますので、それも悪く作用してしまうのではないかなーと。
建設的な話をすると、修羅の道はあくまで病院勤務の場合です。
施設や企業にも看護師の需要はありますし、看護師資格を持っていることで他の資格につなげることもできます。
ぜひ、広い視野を持って、わざわざ生きづらい生き方をするのではなく、生きやすい進路を進んでいただきたいものです。
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